Home > はましんについて > 浜松の経済動向 > 遠州の地場産業 > 森のレタス

沿革
静岡県の水田裏作レタスの主産地は中部の志太・榛原地区と西部の周智・小笠地区である。志太・榛原レタスは昭和29年、当時の初倉村(現島田市)井口農芸研究会と吉田町神戸四方山会のメンバーが、大井川下流の浅耕土秋落田の裏作として、営農改善を目的に導入されたのが始まりである。周智・小笠レタスはこれより3年後の昭和33年、森町南部の水田裏作換金作物導入のために、園田地区の生活改善グループの試作から始まった。
当時はレタスの栽培事例が少ないため、良質のものが収穫できなかった。消費も西洋料理を扱うレストランに限られ米軍の特需を頼りにしていた。昭和36年、ホットキャップによる防寒方法の改善試験結果から、急激にビニールトンネルによる栽培方法が普及した。これによって品質も向上し、また大衆野菜として消費も拡大した。さらに土地基盤整備の進展と農業用機械の普及、レタス用マルチャーの開発普及によって産地が形成されていった。
産地の特徴
レタス栽培の主体は、ビニール・マルチを利用した11月下旬から4月中旬にかけての厳寒採りである。晩秋から初冬にかけて森町南部の圃場(ほじょう=作物を栽培する田畑)にはビニール覆いの「レタスのトンネル」が伸びている。森町では春ものの収穫量が約300t、冬ものの収穫量が約3,000tとなっている。
同産地では生産基盤整備、規模拡大、集出荷体制の強化に取組み、昭和44年には野菜指定産地の認定を受けるに至った。
商品知識
レタスは紀元前5世紀のエジプトの墓にも記録があるが、玉レタス(クリスプヘッドタイプ)に改良されたのは16世紀。日本へは幕末に渡来した。第二次世界大戦後の駐留軍の特需から急速に栽培が増加し、食生活の洋風化、特にサラダの普及に伴って需要も拡大した。英名のレタスやフランス名のラティはギリシャ語のラク(lac)、すなわち「乳」に由来している。和名の萵苣(ちしゃ)は乳草(ちちくさ)の略で、いずれもレタスの葉を切ると淡黄色の乳汁が出るためである。
収穫状況
静岡県のレタスの粗生産額は全国でも上位にランクされる。県内の平成15年の作付面積は879ha、産出額は約38億円となっており、なかでも森町の収穫量は静岡県の約2割を占める。その他では島田市などで盛んである。