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沿革
戦前、軍需中心に若干の生産が行われていたに過ぎなかったわが国の二輪車産業は、昭和21年浜松市において本田宗一郎氏が無線機用小型エンジンを自転車に取り付けて売り出したのを機に、大衆の足として地位を確立していくこととなった。
日本の二輪車産業発祥の地といえる遠州地方は、国内4大メーカーのうち3社が立地する二輪車生産の一大拠点となっている。
わが国の二輪車生産台数は昭和35年世界第一位となり、昭和40年代からは輸出を中心として飛躍的な発展を遂げてきた。このような中で遠州地方の二輪車生産も順調に進展していった。
しかし完成車生産台数は、昭和56年をピークとして、長期減少傾向を続けている。この背景には国内市場の成熟化、海外生産の拡大といった要因が存在する。
平成に入り、アジア地域の経済発展により当地域での二輪車需要は拡大した。そうした中、完成車メーカーはアジア地域での需要拡大を見込み現地生産を開始した。しかし当地では部品を供給できる裾野産業が育っておらず、遠州地方の二輪車部品製造業は現地組立用のKD(ノックダウン)部品生産が増加することとなった。
しかし、アジア経済危機の影響を受け、アジア地域での二輪車需要は激減している。そのため遠州地域のKD部品輸出もかつてのような力強さは期待できないのが現状である。
近年は、欧州で免許制度の改正があり、欧州向け大型車輸出が好調である。
業界の特色
二輪車産業は総合的な加工組立産業で部品は多種多様であり、加工工程も鍛・鋳造、切削、プレス、メッキ、塗装など多岐にわたり、基本的にはピラミッド型の系列下請構造にある。しかし二輪車は自動車に比べて部品点数が少なく、小ロット生産である上にモデルチェンジも頻繁であることから不安定な生産体制を強いられやすい。そのため二輪車部品専門というメーカーは少なく、大半が自動車部品・電機部品などとの兼業となっている。昭和55年頃の完成車メーカー間の価格競争を伴う激しいシェア争いに起因する厳しいコストダウン要請は、部品メーカーの二輪車離れをもたらした。さらに急激な円高以降の海外現地生産の進展は、2次以下の部品メーカーの転廃業を加速し、下請企業不足から1次部品メーカーでは内製化を余儀なくされるケースも出てきており、業界内部に構造的変化をもたらしている。
製品知識
二輪車は排気量251cc以上の自動二輪車、126cc〜250ccの軽自動二輪車、51cc〜125ccの第2種原動機付自転車、50cc以下の第1種原動機付自転車に区分される。遠州地方はすべての分野で日本一の生産拠点となっている。
二輪車は類似した生産構造を持つ自動車と比較すると、部品の生産ロットが小さいことが特徴である。部品点数は自動車に及ばないものの、部品仕様の寿命は自動車の4〜10年に対して、二輪車では半年〜1年、車種によっては3ヶ月と短い。これはレジャー志向の強いスポーツバイクなど季節性の強い製品が多く、生産・販売サイクルが短いことに起因する。その結果、二輪車部品の生産ロットは1千〜2万程度と小さく、10万以上同一仕様も稀でない自動車部品業界とはかなり様相も異なる。このため業界では量産型の大規模な生産設備の導入は難しく、一種の職人仕事として熟練技術者に依存する度合いが強くなっている。
生産状況
平成17年の浜松地方の生産台数は118万台と、5年ぶりの増加となった。また海外現地生産向けのKD部品生産額は、平成10年に1,070億円であったものが、アジア諸国の経済発展に伴い、平成17年には3,212億円と大きく増加している。
世界的にみると二輪車需要は成熟期と普及期の二極化の傾向にある。わが国や欧米諸国では市場の成熟化が進み大型二輪やレジャー・スポーツ的需要の色彩が強いのに対し、中国や東南アジア等では普及過程にあり、交通手段としての需要が主体となっている。